札幌地方裁判所 昭和38年(レ)49号 判決 1965年4月26日
控訴人 奥村宗信
被控訴人 清田シズエ 外二名
主文
1、原判決をつぎのとおり変更する。
控訴人の被控訴人らに対する札幌簡易裁判所昭和二六年(ユ)第四二号借地借家調停事件調停調書の調停条項(二)項にもとづく強制執行は、控訴人において被控訴人らをして別紙第二目録<省略>記載の建物から退去せしめて、同第一目録<省略>記載の土地を明渡さしめる限度を超えてはこれを許さない。
2、控訴費用は控訴人の負担とする。
3、原判決において宣言された強制執行停止決定認可の裁判を「控訴人の被控訴人らに対する札幌簡易裁判所昭和二六年(ユ)第四二号借地借家調停事件調停調書の調停条項(二)項にもとづく強制執行は、被控訴人らをして別紙第二目録記載の建物から退去せしめ、同第一目録記載の土地を明渡さしめる限度を超えてはこれを許さない。
と変更する。
4、前項はかりに執行することができる。
事実
第一、当事者双方の申立
一、控訴人
(一) 原判決を取消す。
(二) 被控訴人らの請求を棄却する。
(三) 訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人らの負担とする。
二、被控訴人ら
本件控訴を棄却する。
第二、被控訴人らの請求原因
一、控訴人と被控訴人らの被相続人訴外亡清田武輔間に、控訴人を申立人、清田武輔を相手方とする札幌簡易裁判所昭和二六年(ユ)第四二号借地借家調停事件(以下本件調停という。)について、同年一二月二一日同裁判所において、別紙調停条項(以下本件調停条項という。)をもつて調停が成立している。
二、しかしながら、右調停条項(二)項のうち別紙第二目録記載の建物を収去する強制執行は、つぎの理由により許されない。
(一) 訴外片桐儀三郎は、昭和五年ごろ、訴外株式会社北海道拓殖銀行からその所有であつた別紙第一目録の土地(以下本件土地という。)を建物所有の目的で賃借し、その地上に別紙第二目録の建物(以下本件建物という。)を所有していたところ、控訴人は、昭和一五年一一月八日右訴外銀行から本件土地を買受けて、その所有権を取得するとともに、本件土地に対する賃貸人たる地位を承継した。
(二) 清田武輔は、昭和二三年九月一九日本件建物を右片桐から買受けて、その所有権を取得するとともに、本件土地に対する賃借権を譲受けたので、昭和二四年春ごろ、控訴人に対し右賃借権の譲渡の承諾を求めたところ、控訴人はこれを拒絶した。
(三) しかして、清田武輔は、本件建物の所有権および借地法第一〇条にもとづく本件建物に対する買取請求権を有していたところ、昭和三一年四月五日死亡したので、同人の相続人である被控訴人らがその遺産を共同相続して、右所有権および買取請求権を取得した。そこで、被控訴人らは、昭和三三年六、七月ごろ控訴人に対し、右買取請求の意思表示をなしたので、本件建物の所有権は控訴人に帰したものである。
(四) よつて、本件建物の所有権が、被控訴人らの所有にあることを前提として、被控訴人らが本件建物を収去する義務があることを定めた前記調停調書(二)項は、右部分に限りその効力を失つたので、これが執行力の排除を求める。
第三、控訴人の答弁および抗弁
一、(答弁)
請求原因一および二の(一)の各事実は認める。同二の(二)の事実は、当初全部認め、のちに、清田武輔が片桐から本件土地に対する賃借権を譲り受けたとする点については、真実に反し、かつ錯誤にもとづくものであるから撤回し、右事実は不知。同二の(三)の事実は、清田武輔が買取請求権を有していたことおよび本件建物の所有権が控訴人に帰したとの点は争う。その余の事実は認める。しかし、買取請求の意思表示があつたのは昭和三三年八月二一日である。同二の(四)は争う。
ところで、清田武輔が、本件建物の買取請求権を有していたことはない。すなわち、本件調停は、控訴人が清田武輔に対し本件土地使用の権限のないことを基本とし、本件建物を収去しその敷地である本件土地の明渡義務を約させ、その履行に期限の猶予を与えて成立したもので、調停当事者は、本件調停条項(六)項を除き、本件建物の収去、土地の明渡によつて、右当事者間の紛争を最終的に落着させる合意をなしたものである。そして、右(六)項に定めた場合の外は、清田武輔に本件建物の買取の申し入れができないことを定めたものであり、かつ、右(六)項は、本件建物が第三者に売渡された場合、控訴人の本件調停調書による執行の困難を防止するため、控訴人が清田武輔から直接本件土地の明渡しを受け得る特殊の方法として、清田武輔に控訴人に対し、売渡しの申し込み義務を負担せしめたものであつて控訴人にこれが買取義務を定めたものではない。
二、(抗弁)
(一) かりに、清田武輔が、本件建物の買取請求権を有していたとしても、同人は本件調停成立に際し、右買取請求権を放棄したものである。すなわち、清田武輔は、本件調停申立の当初から弁護士を代理人として委任し、これが成立するまでの約九カ月間にわたり、自己の利害につき慎重熟議した結果、本件建物の買取請求権の行使により、その代金を受取り、即時本件建物を控訴人に明け渡すより、本件建物が札幌市の繁華街にあるところから、ここで同人の家業である繊維営業を継続して行うことが自己に有利と判断し、本件調停成立の日より約七年間、本件建物の明渡を猶予する条件を承諾して、これが合意に達したものであるから、清田武輔はこの合意のときにおいて、本件建物の買取請求権を放棄したものである。
(二) 被控訴人らの本件建物の買取請求権の行使は、つぎの理由により無効である。
(1) 本件建物の買取請求による価格は、被控訴人らが本件建物の買取請求権を行使した当時約五三万余円であるのに、本件建物には右価格を超える根抵当権設定登記並びに売買予約を原因とする所有権移転請求権保全の仮登記等の負担があるので、本件建物の買取請求権の行使により成立する売買はその代金額を算定することが不能であるから、売買は成立し得ない結果となる。しかるに、なお、売買が成立するものとすれば控訴人は、負担のある建物の所有権を取得する結果、いわれなく本件建物の負担を処理しなければならない不利益を蒙る非条理を生ずるものであるから、このような買取請求権の行使は許されないものである。
(2) 被控訴人らの本件建物の買取請求権の行使は、権利の濫用である。すなわち、本件調停は、清田武輔において本件土地の使用権限のないことを前提とし、約七年におよぶ長期間に亘つて本件建物の収去義務および土地明渡義務の履行を猶予しているのであつて、その趣旨は清田武輔およびその家族(被控訴人ら)の生活保障すなわち立退きにより蒙る生活上の不安を解消させ、将来の生活維持のための方法および移転先の物色等について十分な考慮をなし、かつ、控訴人としても、本件土地の明渡をうけて自己の営業用店舗の拡張整備をすることを目的としたものであるから、調停当事者は、この趣旨を尊重し、信義を旨とし、誠実に右調停の趣旨を実現することに努めなければならない。しかるに、控訴人は、右調停において定められた経済情勢の変動による土地使用料の増額請求も差控かえていたのに、清田武輔および被控訴人らは、本件建物に対する根抵当権設定登記および所有権移転請求権保全の仮登記の各抹消登記もせず、かつ、七年に近い長期間にわたつて、本件建物を使用して、繊維品の販売を行つて利益を収めたうえ、本件建物の時価の鑑定が金五三万余円であつたことを秘して、本件調停にもとづく明渡期間満了直前において、控訴人に対し本件建物を時価一千万円以上で買取るべき請求をするとともに、控訴人がこれに応じないと、再度調停を申立てたのであるが、これは、被控訴人らが、やがて収去しなければならない本件建物の収去費用の負担と自己の出捐による前記根抵当権設定登記および所有権移転請求権保全の仮登記の各抹消登記義務を免れ、かつ、明渡期限到来後も明渡義務を履行しないで本件建物において営業を継続して収益をあげようとするものであつて、このような買取請求権の行使は右調停の趣旨に反し、被控訴人らが自己の利益のみを図り、控訴人の利益を害する目的でなされた権利の行使というべきであつて、到底正当な権利の行使とは認められない。
(三) また、控訴人と清田武輔間において本件調停が成立した以上被控訴人らは、清田武輔に本件建物の買取請求権の存在について錯誤があつたことを理由として、本件調停条項の履行に対し障害となる本件建物の買取請求権を行使することは許されない。すなわち、控訴人と清田武輔間に本件建物の収去、土地明渡義務の履行を定めた本件調停が成立してその紛争が解決したのにかかわらず、買取請求権の有無について錯誤があつたからといつてこれが買取請求権の行使を容易に認めるならば、本件建物について売買の効力が生じ、当事者間の紛争解決の態様は建物明渡の権利義務関係に転化し、代金額並びに代金支払をめぐる留置権の問題等に新たな紛争をかもしだすのが通常であるから、調停当事者間の紛争解決並びに私権保護の調停の精神に反するのみならず、そもそも調停条項における当事者の合意そのもの、ないしは合意に際し斟酌さるべき事項に関する事実ないし法律についての錯誤は、調停がその合意の成立するまでの過程において、裁判所が職権で事実の調査並びに証拠調をすることができる建前になつており、また、法律についても調停主任裁判官が関与し、あつ施して、調停条項の適否、当否の判断をなしているものであり、その結果成立した合意が調書に記載された場合、その記載は裁判上の和解と同一の効力を有することなど調停の性格をかれこれ考慮すれば、それが事実に関すると法律に関するとを問わず、錯誤を理由として一旦成立した調停条項の履行に対し、障害となるべき権利行使をなすことは許されないというべきである。
第四、控訴人の自白の撤回および抗弁に対する被控訴人らの主張と答弁
一、控訴人の自白の撤回に異議がある。
二、控訴人の抗弁に対する被控訴人らの主張
(一) 抗弁(一)の事実は争う。本件調停は、清田武輔が本件建物について借地法第一〇条による買取請求権を取得し得ないものであるという当事者双方本人および代理人(弁護士)の誤解もしくは錯誤にもとづいてなされたもので、そのために本件調停条項(六)項を定めて清田武輔に対し、本件建物の買取請求権を認めたものであると推認される。ところで、清田武輔が右買取請求権を放棄したといゝうるためには、同人が右買取請求権を取得しており、しかもその取得していることを各関係当事者が認識している場合に限られるところ、清田武輔および同人の代理人は、右のとおり誤解もしくは錯誤によつてこれが認識を欠いていたものであるから、右権利を放棄することはあり得ない。そして、本件調停条項(六)項は、それが清田武輔および同人の代理人の錯誤によつて清田武輔に本件建物の買取請求権がないとの前提においてこれが定められたものとしても、それは、結局、右買取請求権の存在を確認したと同一に帰し、ただ、その行使について期限を付したものと解すべきである。
(二) 抗弁(二)(1) は争う。本件建物に控訴人主張の如き負担があることは、被控訴人らの買取請求権の行使になんらの支障もないというべきである。
(三) 抗弁(二)(2) は争う。
第五、立証<省略>
理由
一、控訴人と被控訴人らの被相続人清田武輔との間に、札幌簡易裁判所昭和二六年(ユ)第四二号借地借家調停事件において、昭和二六年一二月二一日、別紙調停条項を内容とする調停が成立していること、訴外片桐儀三郎が昭和五年ごろ、訴外株式会社北海道拓殖銀行から同銀行の所有であつた本件土地を、建物所有の目的で賃借し、その地上に本件建物を所有していたこと、控訴人が、昭和一五年一一月八日右訴外銀行から本件土地を買受けて、その所有権を取得するとともに、本件土地に対する賃貸人たる地位を承継したこと、その後、昭和二三年九月一九日、清田武輔が本件建物を右片桐から買受けて、その所有権を取得し、昭和二四年春ごろ控訴人に対し、本件土地の賃借権の譲渡について承諾を求めたところ、控訴人がこれを拒絶したこと、清田武輔が、昭和三一年四月五日死亡し、同人の相続人である被控訴人らが、その遺産を共同相続したこと、そして、被控訴人らが控訴人に対して、昭和三三年八月二〇日ごろ、借地法第一〇条にもとづく本件建物の買取請求権を行使したこと(右行使した日が八月二〇日ごろであることは原審証人富田政儀の証言、原審および当審における控訴人奥村宗信の尋問の結果によつて認められる。これに反する原審における被控訴人清田シズエ、原審および当審における被控訴人清田博の各尋問の結果はこれを措信しない。)はいずれも当事者間に争いがない。
二、控訴人は、清田武輔が訴外片桐から本件土地の賃借権の譲渡をうけたとの被控訴人らの主張に対し、当初これを認めながら、のちにこれを不知をもつて争うので、右自白の撤回の許否について判断する。
成立に争いのない乙第七号証の一、二、原審における控訴人奥村宗信の尋問の結果によると、控訴人は、昭和二三年四月ごろから訴外片桐に対して、本件土地を自から使用する必要が生じたとの事由をもつて、本件土地に対する賃貸借契約を解約する旨の意思表示をなしていたことが認められるが、右事実のみによつてはいまだ訴外片桐の本件土地に対する賃借権が消滅したとは認められないし、そのほか右片桐の賃借権が消滅したとか、もしくは片桐から清田武輔に対する賃借権の譲渡行為の不存在ないしはその無効である等の事実を認めることのできる証拠も存在しない。してみると、控訴人の右自白が真実に反し、かつ、錯誤にもとづくものであるとの事実は認められないから、控訴人の右自白の撤回は許されない。
すると、清田武輔が、本件土地に対して賃借権を有する訴外片桐から、その地上に存する本件建物の所有権とともに右賃借権を譲り受け(この点は、右認定のとおり、自白の撤回が許されないから、当事者間に争いのない事実となる。)、本件土地の賃貸人である控訴人に対し、昭和二四年春ごろ、右賃借権の譲渡の承諾を求めたところ、控訴人がこれを拒絶したことは当事者間に争いがないのであるから、清田武輔は、借地法第一〇条の規定により控訴人が右賃借権の譲渡の承諾を拒絶したときにおいて法律上当然に本件建物の買取請求権を行使し得る地位を取得したというべきである。しかして、清田武輔が、昭和三一年四月五日死亡し、同人の相続人である被控訴人らが同人の遺産を共同相続したことはすでに認定したところであるから、清田武輔において、これが買取請求権を失わない限り、被控訴人らは、右相続により本件建物の買取請求権を行使し得る地位を承継取得したものといわなければならない。
三、そこで、控訴人主張の抗弁について順次判断する。
(一) まず、控訴人は、昭和二六年一二月二〇日本件調停の成立に際し、清田武輔が本件建物の買取請求権を放棄したと主張するので判断する。
清田武輔が本件調停の成立に際し、明示的に本件建物の買取請求権を放棄したと認めることのできる証拠はない。
また、成立に争いのない乙第六号証、乙第七号証の一ないし三、原審証人菅原鉄之助、同高城乙三郎、同富田政儀、同沢木国衛の各証言および控訴人奥村宗信(原審および当審)の尋問の結果を総合すると、控訴人は、本件土地に対する訴外片桐の賃借権が消滅したとの前提の下に、右片桐に対して本件土地の明け渡しを要求していたところ、清田武輔が右片桐からその地上に存在する本件建物を譲り受けたとして、控訴人に対し、右土地の賃借方を申し入れ、かつ右建物に居住していたことから片桐と清田武輔を相手方として、昭和二六年三月七日札幌簡易裁判所に対し、片桐には本件建物を収去して本件土地の明け渡しを、清田武輔には本件建物から退去して本件土地の明け渡しを求める調停を申立てたこと、その調停の過程において、当事者双方とも、清田武輔が本件建物の買取請求権を有するか否かという点を考慮しないで話し合を進め、その結果、本件調停条項のような調停が成立したのであるが、その調停案が作成されこれが調停調書に記載される段階になつて、控訴人から、「本件土地の明渡期間内に、清田武輔が本件建物を第三者に譲渡すると再びその第三者との間に、清田武輔と同様な紛争が生ずると困るから、若し、清田武輔において、本件建物を第三者に譲渡する必要が生じたときは、控訴人に売るように決めて欲しい。」旨の申し出でがなされて、特に右調停条項(六)項が付け加えられたことが認められ、この認定に反する証拠はない。
右認定した事実によると、本件調停条項(六)項は、これが定められた右のような経緯、その文言、内容等から考察して、清田武輔に本件建物の買取請求権の存在を確認したもの、ないしはその請求権の行使について、期限を付したものと解すべきではなく、むしろ、清田武輔と控訴人との間に本件建物の売買の予約がなされ、右清田武輔にその予約完結権を付与したものと解するのが相当である。そして、右調停においては、本件建物の買取請求権の存否ないしはその権利の行使の点について当事者間で問題となり、または、これが調停成立についての一資料として考慮された等の特段の事情も認められないのであるから、右のように、清田武輔と控訴人との間に売買予約がなされたからといつて、ただちに、清田武輔が本件建物の買取請求権を放棄したものとは認められないし、そのほか清田武輔が黙示的にこれが請求権を放棄したと認めることのできる証拠はない。
したがつて、控訴人の右主張は採用しない。
(二) つぎに、控訴人は、本件建物には、根抵当権設定登記および売買予約を原因とする所有権移転請求権保全の仮登記が存在しているから、買取請求権を行使することは許されないと主張するので判断する。
成立に争いのない乙第一号証によると、本件建物につき、札幌法務局昭和二九年一一月二九日受付第二四五八八号をもつて訴外木下商事株式会社のため、債権極度額金一五〇万円の根抵当権設定登記および同法務局昭和三一年一一月一四日受付第三五〇〇五号をもつて、訴外株式会社金市館のため、右根抵当権移転登記、ならびに同法務局同年同月一四日受付第三五〇〇六号をもつて、訴外加藤良雄のため、所有権移転請求権保全の仮登記がそれぞれ経由されている事実が認められる。
しかしながら、買取請求権の対象となる建物の価格は、その建物に根抵当権が設定されていると否とにかかわらず客観的に定まつており(同趣旨・最高裁昭和三九年二月四日判決民集一八巻二号一頁)、かつ、買受人(賃貸人)は建物所有者から建物の買取請求権を行使されても、民法五七七条によつて滌除の手続を終るまで、その買取代金の支払を拒むことができる。また、その建物に売買予約を原因とする所有権移転請求権保全の仮登記がなされている場合、売買予約者の完結の意思表示によつて、買受人はその建物の所有権を失う虞れがあるが、民法第五七六条によつて、これが買取代金の支払を拒むことができる。さらに、かりに、根抵当権が行使され、または売買予約者の完結の意思表示がなされた結果、本件建物が第三者の所有に帰し買受人がその所有権を失うことになれば、買受人は、これが損害を買取請求権者に請求することもできるのであるから、これら負担のある建物について、買取請求権が行使されても、買受人は必ずしもこれが負担を引継ぎ、自己の出捐においてこれを処理しなければならないものではない。
以上のとおり、買取請求権の対象とされる本件建物に前記認定のような負担があつても、買取請求権の行使によつて、買受人たる控訴人が特に不利益を蒙るとはいえないのであるから、被控訴人らが本件建物の買取請求権を行使することは許されるものと解するのが相当である。よつて、控訴人の右主張は採用しない。
(三) 控訴人の権利濫用の主張について判断するに、本件全証拠を検討しても、被控訴人らの本件建物の買取請求権の行使が権利の濫用になるとは認められないから、控訴人のこの主張もまた採用しない。
(四) さらに、控訴人は、本件調停が成立している以上、これが調停条項の履行に対し、障害となるような本件建物の買取請求権を行使することは許されないと主張するので判断する。
民事調停は、当事者の互譲によつて、その間の民事に関する紛争を解決するものであり、調停において、当事者間に合意が成立し、これを調書に記載したときは、調停が成立したものとして、その記載は裁判上の和解と同一の効力を有するものであるから、当事者は、調停調書に記載された権利関係に拘束され錯誤等の事由によつてその調停の成立自体の瑕疵を争う場合は格別、その権利関係の存否に関する新たな主張をすることは許されないものといわなければならない。しかし、当事者の一方が、調停調書に記載された権利関係に影響をおよぼす権利を行使し得る地位にあつた場合、その調停において、かかる権利の不存在ないし不行使を確認する等の合意が成立し、あるいは、かかる権利を放棄したと認められるような特段の事情のない限り、たとえ調停成立後にかかる権利を行使した結果、調停調書に記載されている権利関係に変動が生じたからといつて、なんら調停調書の効力に反するものではないから、かかる権利を行使することは許さるべきものであると解するのを相当とする。
しかして、本件においては、右特段の事情の存在を認めることのできないことは本件調停条項の記載ならびにすでに認定したところから明らかであるから、被控訴人らが本件建物の買取請求権を行使し、かつ、右権利の行使の効果を本件請求異議の事由とすることは許さるものといわなければならない。
よつて、控訴人の右主張は採用しない。
四、以上のとおり、控訴人の主張はいずれも理由がないから、前記のように被控訴人らが控訴人に対し、本件建物につき、その買取請求権を行使した結果、その時において本件建物の所有権は、控訴人の所有に帰し、被控訴人らの控訴人に対する本件調停調書(二)項に記載されている本件建物を収去する債務は消滅したものといわなければならない。しかしながら、建物収去、土地明渡を定めた債務名義には、建物退去、土地明渡の債務をも含むものと解するのが相当であるから、被控訴人らの本件建物収去義務の消滅により、控訴人の被控訴人らに対する本件調停調書(二)項の本件建物収去、土地明渡請求権は、本件建物退去、土地明渡請求権に変つたものというべきである。
五、よつて、被控訴人らの本件債務名義(二)項の建物収去部分は、その効力を失つたので、右部分の執行力の排除を求める本訴請求は前記のとおり本件建物から退去し、本件土地を明け渡す限度を超える部分の執行力の排除を求める限度において正当であり、右限度においてこれを認容すべきであるから、これとことなる原判決を主文第一項のとおり変更することとし、控訴費用の負担につき民事訴訟法第九五条、第八九条、強制執行停止決定の変更等につき、同法第五四八条を各適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 井田友吉 大久保敏雄 天野耕一)
別紙
調停条項
(一) 相手方(片桐儀三郎、清田武輔)は、申立人(奥村宗信)に対し、申立人所有に係る札幌市南二条西二丁目六番地の一、宅地一三五坪のうち東側間口二・一五間、奥行一四間の地上にある相手方所有の木造亜鉛鍍金鋼板葺二階建店舗、家屋番号一四番、建坪階下二六坪、階上二一坪、合計三七坪についてその所有を目的とする賃貸借関係のないことを認めること。
(二) 相手方は申立人に対し、昭和三三年八月三一日までに前項記載の建物を収去して同前項記載の土地を明渡すこと。
(三) 相手方は申立人に対し、昭和二七年一月一日より前項の明渡に至るまで、第一項記載の土地使用料(法律上賃料相当の損害金の趣旨である)として、一ケ月金三、〇〇〇円あて毎月末日毎に支払うこと。
但し、経済情勢の変動によつて当事者双方協議の上、本項を変更することができる。
(四) 相手方は申立人に対し、昭和二六年一二月末日までの従来の土地使用に対する損害金として供託してある金一二、〇〇〇円を昭和二六年一二月末日までに支払うこと。
(五) 相手方は申立人の承諾を経ずして、第一項記載の建物を第三者に売買、賃貸借、使用貸借等をしないこと。
若し、これに違背したるときは、その時において第二項の収去義務の時期が到来したものとして即時建物収去、土地明渡の強制執行を受けても異議なきこと。
(六) 相手方が第(二)項の期間中において、第(一)項の建物を売却する必要が生じたるときは、申立人に対して売渡すこと。
この場合において、代金について当事者間に協議が調わないときは、札幌簡易裁判所に調停を申立て、裁判所が適当と調停した価格に対し双方とも異議を主張しないこと。
(七) 前各項の条項は、この調停において相手方が第(一)項記載の建物の所有権を目的として、申立人所有の第(一)項記載の土地を賃貸借することの契約の趣旨に解釈してはならない。
(八) 調停費用は各自の負担とする。